読んだ本

電波利権 (新潮新書)

電波利権 (新潮新書)

感想・興味を引くところ

「移動体電話(アナログ)は単独で経営が成り立つがどうか疑わしい」として,NTTは分離に抵抗したが,長距離部門を温存するための犠牲となって「NTT移動通信網」(のちのNTTDoCoMoの分離が決まった。
NTTDoCoMoはこうして,政治的妥協によって生み出されたのである。
しかし結果的には,この分離は成功だった。NTTの技術者には職能別にグループがあり,無線通信を担当する人々は「無線屋」とよばれている。分離するまでの無線部門は,離島など有線の電話が届かない地域で使う補助的なインフラに過ぎず,通信網の設計は「交換屋」などが行い,自前で無線ネットワークを組むことができなかった。
ところが,1992年に移動体部門が分離され,無線屋の人々が独立したため,それまでの交換屋の「下請け」に甘んじていた彼らの士気は大いに上がり,独自の技術開発や経営戦略を打ち出していった。
p110

第2世代携帯電話では規格が統一できなかったので,第3世代(3G)では統一しようと,ITUでは「IMT-2000」という国際規格を決める協議が行われ,周波数も1992年に割り当てられた。
しかし具体的な規格をめぐっては日米欧の激しい争いが行われ,なかなか決着がつかなかった。第2世代(2G)で少数派に転落した日本は,3Gではヨーロッパ(エリクソン)主導のW-CDMAに同調したが,アメリカ(クアルコム)のCDMA2000が最後まで譲らず,最終的には1999年になって両者を含むゆるやかな概念として「3G」が使われることになった。最高速度384キロビット/秒などの仕様は共通で異なる規格でもローミング(相互接続)可能にすることになっているが,実際にできるかどうか不明である。
p120