読んだ本

新教養としてのパソコン入門 (アスキー新書 020)

新教養としてのパソコン入門 (アスキー新書 020)

感想&引用メモ

あなたたちは知るまい,当時,PC互換機や,国民機とまで言われていたNECのPC98シリーズなんかを使っていた連中は,標準メモリと拡張メモリ,なんていうものを心配しなきゃいけなかった。それがなんだかあなたたちは知らなくていい。でもどのソフトがメモリのどの領域に入ってなんて,メモリ領域の管理を,人間がやんなきゃいけなかった。周辺機器の接続だって,ちっこいスイッチをいじって,アドレスの設定だの割込の設定だの,変な設定が山ほど必要だった。ソフトを二つ同時に使うなんて,かなり小技を使わないと無理だった。
マッキントッシュのユーザは,そんな連中を悠然とあざ笑っていた。ばかだねえ。なんでそんなことを人間さまがやるのだね。そんなことはマシンが調べればいいのに。きみたちはコンピュータの奴隷ではないか。ほっほっほっ。
ししてこれは世の中のパソコンの利用者たちが,世の中のオペレーティングシステムというものがあって,それが変わるとコンピュータ環境というものが,これほどまでに激変するんだというのを思い知らされた時でもあった。p91

確かにこの時代のPCはかなり面倒な設定を強いられてました。そういう意味では2,3歩先に進んでいたMACのOSはスゴイです。
しかし,奴隷解放の意味であれば,既にOSのブラックボックス化が進んでいてPC互換機もwindows化の波に飲み込まれ,結局のところPCに使われる奴隷化はますます加速した感があります。MS-DOSの時代はそれでも使いこなすという意味ではユーザにイニシアティブがあったと思います。少なくともconfig.sysを記述することが出来ていたのなら。